性別の話

2021年11月11日 日常
 昨年の終わりから都内某所のクリニックに通い始めた私は、今年の5月、ある障害の診断を受けた。
 
 その名は、性同一性障害。
 
 診断結果を告げられた時、私は大きな安堵を覚えた。――今まで感じてきた違和感や苦痛は、決して勘違いではなかったのだと。
 
 振り返れば、私の友達は小学校低学年までほとんどが女子であった。何の疑問もなく、女子グループに混じって一緒に遊んでいた時代。当時の私の脳内には、性差なんて概念は存在していなかった。ただ、一人称に「僕」や「俺」を使うのに不思議なくらい抵抗感があったのははっきりと覚えている。
 しかし、歳を重ねるごとに「自分は彼女らとは別の生き物だ」と否が応でも認識させられるようになった。例えばバレンタイン。例えば女友達と思っていた同級生が突如見せてきた恋愛感情。
 それから、周囲の目も次第に厳しくなってきた。可愛いポケモンが好きと言うとバカにされる。女子向けアニメを見ているのは恥ずかしい事だと周囲の言動から気付かされる。私は少しずつ自分が本当に好きなもの、興味のあるものを封印し、自分を偽るようになった。
 それでも、この頃はまだ十分に我慢できる範囲であった。一部の男子からの暴力はあったものの、私に理解のある友人も何人か居て、それなりに好きなことをして過ごせていたからである。
 
 こうした違和感が爆発したキッカケは、小学5年での転校であった。転校先の小学校は男女対立が凄まじく、転校してすぐ「お前はこっち側だよな?」と男陣営に加わることを強要された。そして、趣味嗜好や言動が元々男らしくなかった私は、オカマの烙印を押されて激しくいじめられるようになった。
 そしてほぼ同時に始まった第二次性徴。身体中に毛が生えてくるのがとにかく恐ろしくて、必死で抜いて抵抗した。幸い声変りはすぐには来なかったが、声が低くなるのが嫌で自己流のボイトレを日々の会話の中で実践した。とはいえ、男性的な変化は完全には止められず。元から好きでなかった自分の外見が、どんどん嫌いになっていった。
 また、小学校高学年ともなるとファッションにも興味が出てくる。ところが、私は男性物の衣服に全くと言っていいほど興味を持てなかった。こんなのよりも、向こう側のレディス売り場にある可愛い服を着たい。でも、そんなことを言えば気持ち悪がられるのは目に見えている。しかも当時(00年代半ば)といえばオネエタレント全盛期。あんなのと同類にされるのは死んでもごめんだと思った。そして私は、自分自身の持っていたファッションに関する興味を全て否定し、最初から興味がないことにした。
 
 中高時代は、受験勉強とオタク趣味による逃避で耐え抜いた。事実としていじめは受け続けていたし、それが原因でかなり病んでいたのも確かだ。でも、周囲にオカマだ何だと言われようとも、勉強さえ出来ていればとりあえず人権は保障されていた。しかも、高校では勉強の実力を買われて久々に女子グループに混ぜてもらえた。一緒になってJKライフを満喫するのは流石に無理だったが、そういったノリの中に少しだけでも混ぜてもらえていたのは幸せだった。
 それから、小学校の終わり頃から興味を持つようになった萌え系コンテンツは、現実で行き場のない女性的な欲求を吐き出すのに絶好の場所であった。二次元の美少女に自己投影し、「あるべき性」を取り戻した気分を味わう。「推し」のグッズを集め、可愛いに囲まれた生活を送る。ネット上では女性の名前をHNにする。私はオタクの道に進むことで、自らの心を守ったのである。
 ついでに言うと、ヘヴィメタルにこの頃ハマったのは、髪を伸ばしたい願望があったからである。結局ダメだったが、バンドマンになれば合法的に髪を伸ばせると期待していたのだ。
 
 しかし、オタクの道を進んでいるうちに、私は「自分の性別違和は勘違いで、単なる可愛いもの好きの男オタクなのではないか?」という疑問を抱くようになった。そこで大学時代は、男社会で過ごし「逆埋没」を試みようと考えた。
 実際、大学で加入した男だらけのオタサーで過ごした時間は確かに楽しかった。でもそこは、自分と一般男オタクとの決定的な差を痛感した場所でもあった。
 その差とは、具体的に言えば、性的なコンテンツに対する態度である。私は女性キャラクターに自分自身を重ね合わせて見ている。だから、性的消費の対象とはならない。しかし、周囲のオタクはそうではない。
 性産業や性行為に対する関心についても同様である。私は自分の男根が嫌いで、汚らわしい存在だと思っている。でも、周囲のオタクからは、風俗レポが当たり前のように上がってくる。
 大学4年間を終えて、私はやはり「普通」の男性とは違うと確信するようになった。
 
 そして社会人になり、一人暮らしを始めた。ここで私は、封じ続けていた自分を少しずつ開放していくことにした。少女漫画、アクセサリー、レディス服。それから大好きな『不思議の国のアリス』の雑貨。少女漫画を通じて、久々に女友達も何人かできた。
 でも、私生活を自分らしくしていけばしていく程、ずっと呪いのように私を縛ってきた「自分が醜い男である」という現実がますます心を蝕むようになった。――単に、女性的な趣味嗜好の男として生きていくのは却って苦しい。
 それに、将来の人生設計を考えると、そろそろパートナー探しをしなければならない。私の性的志向は女性8割男性2割くらいの両性であるが、男のフリをして女性と付き合うなんて卑怯な手は断固として使うのを拒否してきた。どちらの性と交際するにしても、女性として愛したり、愛されたりしたい。
 だから私は、覚悟を決めて自分自身が長年抱えてきた性別違和と向き合うことに決めたのであった。
 
 それから約一年。女装サロンでメイクを習い、スカートやワンピース、ブラウスといった「完全なる」レディス服を少しずつ買い集め、ストパーをかけて髪を伸ばし、にっくきムダ毛は医療脱毛で破壊して、少しずつ外見を女性のそれに近付けてきた。それと都内某所のクリニックにて隔週で女性ホルモン注射を受けるようになり、ほんの僅かだが心身に女性的な変化も現れてきた。
 しかし、どんなに努力したところで、それこそ性別適合手術を終えて戸籍の性別を変更したとしても、今まで受けてきた苦痛、強いられてきた我慢、失われた過去は決して取り返せない。
 これからの人生で取り返せ? ごもっとも。だが、鬱病で自殺半歩手前まで追いつめられている私に、そんな前向き思考なんてできない。そもそも、鬱病で唯一の武器であった脳が壊れてしまった私にはもう何も残されていないのだ。一体どうやって未来に希望を持てばいいというのだ?
 
 今、私はとにかく、ズタボロのボロ雑巾になった心を癒してほしい。そして、ありのままの私という存在を、そのまま受け容れてほしい。
 
 そんな優しさを、私は欲している。

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